zunx2とは:これまでの音楽生活について

私生活

こんにちわ 
雑記ブログの2記事目ということで今回は僕自身についてまとめておこうと思います。
「zunx2とは」というタイトルでお送りしていきます。僕のこれまでの経歴を述べていきます。

音楽は18歳から始めた

僕は名古屋生まれの石川育ちの現在29歳のフリーランスです。
音楽とブログで生活をしていますが音楽自体は小学校〜高校と音楽の授業ぐらいしかしておりません。音楽は18歳から始めました。大学生になった時にギターを始めたのです。

それまでは野球を9年間しておりました。
野球は自分で言うのも変ですが結構才能があったみたいで北陸の選抜チームに入ったり、高校では甲子園常連校で特待生で1年生の頃から3年生と同じレギュラーメンバーでした。

なので大学までは全く音楽をしておりません
そんな音楽と無縁の生活だった僕が大学から音楽を始めて現在ではDTM講師をしています。
自分でも思うけどほんと運が良かったし、色んな人から協力してもらえて講師になれました。ほんとに感謝です。

大学ではギターを始めて軽音部に入りました。もちろん譜面も読めないし、メトロノームの使い方すら知らないところからスタートしています。
まさに「楽器なんてノリだけでいけるやろ」そんなノリで音楽を始めるのです。

18歳で音符の読み方もメトロノームの使い方も知らないところからギターを始めました

音楽を始めて最初の1年は下手すぎて誰もバンドを組んでくれない

僕は当時、Hi-Standardというバンドが好きでとにかく「オリジナルのメロコアバンドがやりたい!」という気持ちで音楽を始めますが当時アニメのけいおん!が流行っており、僕の周りはアニソンバンドのコピーバンドばかりでした。

軽音部に入ってすぐの頃は何個かコピーバンドをするのですが「僕がやりたいのはコピーバンドじゃなくてオリジナルのメロコアのバンドがやりたいんだ」という気持ちでした。

何とかしてオリジナルのメロコアバンドがやりたい!と言うことでコピーバンドはやめて、オリジナルバンドも始めることを試みるも当時、僕はギターの技術は全然ダメだし、オリジナル曲も作れない。
さらには人脈もさほどないと言うことで誰も周りにバンドを組んでくれる人がいない状態でした。

当時はコピーバンドもアニソンブーム真っ盛りで僕の周りにはオリジナルのメロコアバンドが少なかったのです。

曲のコピーを200曲以上した


「とにかくオリジナル曲を作れないと話にならない」ということで地元のベースがめちゃくちゃ上手い幼なじみに話を聞くと

とにかく曲をコピーしまくったらそのうちオリジナル曲が作れるようになる。

という言葉をそのまま鵜呑みにしてその日から作りたいオリジナル曲に近いバンドのバンドスコアを片っ端から買ってきてコピーを始めました。
おそらく200曲以上はコピーをした自信があります。

  • ELLEGARDEN
  • Hi-Standard
  • Ken Yokoyama
  • マキシマムザホルモン
  • dustbox
  • Knotlamp

主にこれらのバンドをひたすらにコピーしました。
するとそのうち手癖でなんとなくですが少しずつギターでオリジナルのリフやコード進行が思いつくようになり、ギター歴3年目ぐらいにして本当にオリジナル曲を作れるようになったのです。

いま考えたら何も根拠がないのによく200曲もコピーして曲が作れるようになると思ったもんだ

その曲のタイトルは「See You Again」でした。
歌詞は英語歌詞なのですがもちろん英語の知識なんてないので今思い返すとめちゃくちゃな英語で歌詞を作っていたと思います。
それでもオリジナル曲を作れたことに喜びを感じていたことを今でも覚えています。

音楽はとにかくやりたいと言う気持ちがあれば脳筋プレイでも何とかなるのだ!

大学4年生にしてやっとオリジナルバンドを結成

大学4年生にしてやっとオリジナルバンドを結成しました。
そう、ここまで本当に長かったのです。それまではたまにコピーバンドを少しやるくらいでオリジナルバンドがやっとできました。

メンバーは軽音部員で構成されており、全員絵に描いたような脳筋バンドマンでした。
本当に気合で音楽をやるぞみたいなノリの4人でした。

「音楽理論?そんなもん知らん!パンクに音符もクソもねぇ!」みたいな感じでしたがでも今になって思うのは最初は何でもそれぐらいの勢いがあってこそだと思います。
変に知識ばっかり身につけていわゆる頭でっかちになるよりは
とにかく動き出して勢いでトライ&アンドエラーを繰り返す方が手取り早いと思います。

パンクをやるなら男らしくギターをかき鳴らせ!の精神

そんなわけでオリジナルバンドを始めるわけですが結果的に1年で地元では一番ライブ数をこなしたバンドになり、メジャーレーベルに入っているバンドとも対バンをするようになっていました。
解散ライブではライブハウスから大きな旗をプレゼントされてめちゃくちゃ嬉しかったことを覚えています。
全員学生だったので卒業とともにバンドは解散になりました。

あっという間の1年間でしたが週1でライブをしていたし、多い時には週3でライブをしていたので学生にしては多い方でチケットノルマに苦しめられていたことを思い出します。

メンバーの一人が貧困な生活になってしまい、水道も電気も携帯電話も止められていてスタジオ練習に来ないもんだから様子を見に行ったら暗い部屋で柿の種を食べていたなんてこともありました。
というわけでコピーバンド時代も含めると学生時代に僕は4年ほどバンドを経験できました。

「ライブをしたい」!という一心で夢中になってライブをしていたら気が付いたら当時、地元では1番ライブ数をこなしていたバンドになっていました

その後色々なところでバンドをやるも…

大学を卒業した後は仕事で名古屋に引っ越し、名古屋でオリジナルバンドを始めたりしますが肝心な仕事が上手くいかず、精神的に病んでしまい金沢にリターン。

金沢に戻りまたバンドを始めるも方向性の違いによりすぐに解散。
といった感じでかれこれバンド歴は学生の頃から数えると6年ほどでしたがそこで僕のバンドマン生活は幕を閉じるのです。

ついにこれで僕の音楽生活もこれを機に終わってしまうんだろうな…そう、本気で思っていました。

バンドが終わると同時に音楽をやめてしまう人も多い…僕自身もそうなる時がきたか…と本気で思っていました

地元の楽器店でCubaseと出会う

「さぁ…このまま音楽をやめて、適当に仕事をしながら結婚して幸せな家庭を築くか」と思いながら何気なく地元の楽器店に行ったのです。

なんとなくDTMコーナーを目の前にすると「どうやらCubaseでオリジナル曲が作れるらしい」という情報が目の前に飛び込んできたのです。

それも基本一人で作曲をするわけだからメンバーとの人間関係だったり、スタジオにわざわざ入って曲を作らなくても自宅で曲が作れる。

「こんなに都合の良い楽曲制作の仕方があるのか!」と感動しました。そして一旦家に帰り、冷静に考えるもどうしても気になってしまい、その日にCubase8 Proを購入するのです。

そう、僕の音楽生活はバンドの終わりくらいでは終わらなかったのである

Cubaseとの出会いにより僕の音楽生活はまだまだ続くことになる

20代の全てを捧げるようなDTM生活が始まる

そこからは仕事が終わったらすぐに自宅に帰り、ひたすらDTMをする日々が始まったのです。
どんな日だろうが1日4、5時間は必ずDTMをしていました。自分が考える最高の曲を作りたいという気持ちだけでひたすらにDTMに没頭。当時の勢いを知っている友達に聞くと

  • 毎週新しい機材が増えていた
  • 機材を一新して全ての機材が変わっていたことがあった
  • プラグインを息を吸うように買っていた
  • DTMをするときは目の色が変わっていた
  • ほとんどDTMかラーメンの話しかなかった

とこのように20代のほとんどをDTMに時間を費やしていました。

なのでごく一般的な20代の生活はほぼしておりません。いま振り返ってみても狂ったようにDTMをしていたと思います。
地元のDTMスクールには4年通い、ボカロP活動も3年ほどしました。

DTMユニットで制作した曲

オリジナルDTMユニットも3年ほどやり、自分の作りたかった音楽はある程度、形にはできたという手応えがありました。

そして仕事の合間に暇つぶしでやっていたDTMブログだったり、僕の師匠と地元の楽器店でCubaseセミナーをやっていたこともあり、地元の音楽教室でDTM講師のお話をいただき、現在もDTM講師やブログだったり、他にも色々やったりで生活をしているというわけです。

20代の時間とお金のほとんどをDTMに費やしたと思います

おわりに

いかがでしたか?ざっと僕の音楽生活をまとめてみましたが18歳から本当に音楽のおの字も知らないところからスタートしております。

とにかくライブがしたい!だとかDTMでオリジナル曲を作りたい!という純粋な気持ちだけでここまできたと感じております。

そうでもなければ何度も心が折れる音楽でここまで続けられているとは思えないです。

なのでこれから音楽を始めたいと考えている人も音楽が好きだ!という気持ちが強ければなんとでもなると思っているのでぜひ音楽を楽しんでください。と言うわけで今日はこの辺で!ではまた

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